初代理事長のつぶやき(118)あの時青かった私

初代理事長のつぶやき

私は、今73歳です。私が社会福祉士の資格を取得したのは、47歳の時ですから26年前になります。明治大学商学部に入学したのは、東京オリンピックのあった昭和39年です。学部が商学部であったに関わらず入学と同時に、社会福祉研究部に入ります。春休み、夏休みを使って長野県の南の端にある知的障害児の入所施設阿南学園に通いました。夏には天竜川でキャンプをしたのも懐かしい思い出になっています。
大学卒業後は、横浜銀行に就職します。しかし、預金集めなどで私の肌には合わない気持ちを抱いていました。丁度そのころ、重症心身障害児施設琵琶湖学園々長の糸賀一男さんが亡くなります。多額の借金を残しながらも、多くの福祉関係者からその死が悼まれます。その事が青かった私の心を琴線に触れるが如く揺さぶり、転身のきっかけとなりました。当時原宿にあった日本社会事業学校の研究科に入ります。その後、生活保護のケースワーカーを目指し横浜市に入庁、望み通り生活保護のケースワーカーになりました。平成15年に中福祉事務所長を最後に定年退職しました。生活保護行政一筋でした。退職後は、原点回帰のつもりで後見人、保佐人として個人後見業務に10数年従事しました。今はその経験を生かして、横浜市の社会福祉職OBらと法人後見に取り組んでいます。取り分け資力の乏しい方々の身上監護を重視した後見業務に力を入れています。 定年退職後は、もう一度青い時代のソーシャルワーカーに戻るのが夢でしたから、実現しつつあります。私の人生ドラマの仕上がりです。青かった私が選択した人生ドラマも、どうやら間違ってはいなかったように思います。(2017.6.17) 

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